イベントに出て思うのは、自分が平凡な人間であるということです。
0から何かを作っているわけではないからです。
そういう意味で、私のしているのは創作ではないのです。
「既存の工夫」の域を出ないものでしかないということになります。
手芸屋で見つけた小さなパーツ同士を組み合わせて、重ね合わせて作ったもの。
だから私は、イベントに出て自分の作ったモノを不特定多数に見せることを選んだ瞬間から
多少は、真似されても仕方ない、と思っております。
真似されるということは、自分への評価でもあります。
より良いものを、真似できないほど自分の世界を、という次への意欲を沸かせるものにもなるかもしれません。
私は、色々なジャンルに片足を突っ込んできた人間です。
写真ならば、構図ひとつ、トリミングひとつに意味をもたせるように。
アクセサリーひとつにしても、それは変わりません。
思いも込めました。自分と世界の中の誰かが繋がることを願いました。
作家というものは、みな常にそうあるものだと思っております…
けれど、イベントに出れば今は似たり寄ったりのものが多くあるのも現実です。
これが流行り、となれば皆が皆同じようなものを作っている。
日本人は手先が器用すぎるのも一因なのかもしれません。
隣の大国がリンゴマークの機械を似せて作るように、そっくり作るのですから。
“何処其処のサークルでこんなものが人気だ、でも自分で作れそうだから作ってみた。
作ったら持て囃されたから、ネットで自慢した。自分も作って売ることにした。
元のサークル主の耳に入って、忠告された。注意された。販売について怒られた。
意味わかんない、悪気は無い、宣伝しただけ、私もちやほやされたかった。"
これが今の現状で、よく聞く惨状なのです。作家さんの悩みなのです。
隣の大国とやってること変わりませんよ。幼稚で真似するしか能がないレベルなのです。
真似することから学ぶこともあるでしょう。それも事実です。
けれど、真似からは自分の世界を磨くことはできません。
真似から学ぶのは、自分だけの世界を知ることです。
自分だけのものを大事にして欲しい。
稚拙な真似事で作家さんを困らせるのではなく、
自分よりももっと凄い新人が現れたと思わせるようなものを、作ってみてほしい。
タラタラと書きましたが、これが今一番思うことです。TwitterやFacebookで意見が言いやすくなったり評判を見ることが簡単になったからこその悩みなのでしょうが、難しいですね。凛として、自分だけの世界だと胸をはれるものを作っていたいと思います。
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